■□ febrero 2002 □■

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まゆきょの日常をfocus !!

lunes febrero 25, 2002 ■□ my mother □■

ただいま、です。
実家の長野から戻ってきました。
気分的には非現実の世界から日常に戻ってきた
「ただいま」
というほうが大きいかもしれません。
今回の突然の帰郷は

2002年2月20日水曜日13時29分 母死去。
直接死因 気管支喘息発作。

のためだったからです。
母が喘息の発作を起こすようになったのは
あたしが小学校高学年になってからなので
20年以上になりますが、喘息は死ぬ病気じゃないしなぁ〜
とずっと思っていました。
入院することも多く、ここ数年は年に3〜4回。
でも、とくに手術をするわけでもないし、動けないわけでもないし、
毎日、通院して点滴を打ってもらうのは大変だから
ちょっと入院して、きちんとした食事や軽い体操をして
様子をみましょうか?という程度だったはず。
そのせいか、20日のお昼休みに父から
「お母さん 倒れたんだよ。今、お父さん病院向かってるところだけど、
 こっち来てもらわなきゃならないかもしれないから
 とりあえず、お前も準備しておけよ。
 ・・・看護婦さんが何も言わないんだよ。」
と、電話をもらったときも、心配ではありましたが、
母の病気には慣れっこになっていて
“またか。”の感情が先にきたのです。
“準備しとけって言われても、何を準備すればいいんだ・・・会社だしさぁーー”
とかなり呑気にかまえていました。
それでも“看護婦さんが何も言わないのはたしかにヤバイかもしれないなぁ〜”
と思ったので、いつもバッグに入れっぱなしにしている携帯を
制服のスカートのポッケに入れて、いつものように午後からの仕事につきました。
そして、それから30分もしないうちに実家近くに住む弟から電話が入り、
「留守電聞いたか?もう、かぁさんダメだよ。
 今、集中治療室入って、心臓マッサージしてもらってるけど
 運ばれてから時間経ってるし。今からすぐ帰って来れるか?」
と聞かれ、初めてタダゴトではない状況なんだと理解したわけです。
それでもまだ信じられなくて「ほんとにダメなの?」と聞き返してしまいましたが。
急いでやりかけの仕事をして、早退することにしたのですが、
部長に報告しているときに涙が溢れてボロボロ泣いてしまいました。
職場で、しかも人前で、大粒の涙をあたしが流すなんて
自分でも不思議な感覚でしたね。
弟から電話があったのが13時20分頃だったので
結局その後すぐに母は亡くなったわけですが、
電車に乗ったりなんだりしていたので父と連絡がとれず、
大宮に着いて弟ともう一度電話で話すまで、
危篤なのか、意識を戻したのか、それともダメだったのか
はっきりとは分からずにいて、電車に乗っている間、
不安で涙がでたり、ここで泣いたらほんとにダメだったみたいじゃないかぁ、
しっかりしなきゃ、とか色んな感情が頭の中をめぐっておちつきませんでした。

長野駅にたどりついたのは18時過ぎだったでしょうか。
お天道様が照っているお昼に連絡をもらったのに、すっかり暗くなっていて、
あたしは両親とは遠いところで生活をしているんだなぁと思ったら、
自分で選んで好きでそうしてきたくせに
とても悲しくなってきて駅のホームでも涙がジワジワと出てきました。
家にようやく辿り着いて、
眠っているような優しい顔をした母の姿を目の前にしたら、
もうとめどもなく涙が流れて、ボタボタと畳の上に落ちました。
自分は母親に対して(も)冷たい人間だとわかっていましたので、
もしかしたら母に万が一のことがあったときでも涙が出ないかもしれないと
思ったこともありましたが、こんな思いやりのないひどい娘であっても
やはり母の存在は大きく、きちんと母に対して愛情を感じていたのだと思います。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
まだ途中なのですが、明日から仕事復帰なので
そろそろ寝ようと思います。
続きはまた後日。
今回のことをhpにはのせないほうが
よいのかもしれないと少し迷いましたが、
自分の記憶のためには残しておきたかったので
気にせずに、あたしらしく長文覚悟で書き始めました。


※こんなときでも食欲はおちず、3食きっちり食べてたので
 いつもよりイッパイ食べてました。逆に太ったかも あははは
※出棺が終わって火葬されたら、なんだか気がぬけて
 かなり落ち着きました。
 告別式が済んだら、さらに落ち着いたので今は元気です!!
 というわけで心配ご無用っ
(1:31am feb.26.2002)



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

母が亡くなった夜は、長い時間、母の世話をしました。
鼻から血が出てきて止まらず、それをティッシュでずっと拭いていました。
亡くなってからも血を流すなんて・・・。
あたしが到着するまでは、父の会社の会長の奥さんがしてくれていたようです。
仏の扱いに慣れている葬儀屋さんに相談したところ、
すべての免疫抵抗力のなくなった母から
いろんな菌がうつらないように直接手でふれるのはあぶないから、
割り箸でティッシュをもって、
とりあえずおさまるまでコマメに拭いてあげてください
と言われたらしいので、そのとおりにしました。
何度も何度も。拭いてもすぐにタラっと血が流れてきます。
その姿がかわいそうに思えて、いくつもいくつも大粒の涙がでました。
随分時間がたって、だいぶ血の出る間隔が開いてきたと思っても
油断すると、急にタラーーっとたれてしまい、ちゃんと止まる気配がありません。
仕方ないので、葬儀屋さんに確認して、脱脂綿をつめてもよいか聞くと
構わないとのことだったので、鼻に脱脂綿をつめました。
最初は気が動転していたせいか、言われたとおりに拭いていましたが、
よぅく考えてみたら、祖母の亡くなったときも鼻と耳に脱脂綿が
つめてあったように思います。
はやくそうしてあげればよかったです。
暖房のない部屋に母を寝かせていたので、
あたしの身体はすっかり長野の寒さで冷えきってしまい、
ずいぶん泣いたせいもあってか、
鼻水がとまらなくなり、頭がボーっとしてきました。風邪の症状です。
こんなときに風邪なんてひいてる場合じゃないのに!!
と、自分の弱さを呪いたくなりました。
亡くなった日とお通夜の日はお線香を絶やしてはならないので、
誰かが見守って一晩中起きてなければならないそうです。(初めて知った)
熱っぽくなってしまったあたしにはその役は出来ませんでした。
弟にまかせて他の人より早目に
(といってもam3:00頃だったかなぁ)お布団に入りましたが、
結局1時間くらいしか眠れませんでしたね。
なんだか知らぬ間に夜が明けてましたが、
母が亡くなった日だというのに、食欲だけはおとろえず、
夕飯も朝食もしっかりと食べれました。
悲しくてもお腹はちゃんとすくんですね。(あたしが食いしん坊なだけ?)


次の日、2月21日の夜は、お通夜です。
うちは親戚付き合いの薄い家庭です。
父が北海道で母が九州の出身ということもあって、
長野に親戚はひとりもいません。
しかも父があまりそういうことを好まないので、
結婚式か葬式くらいしか親戚とは会う機会がないのです。
長野は田舎ですが、オリンピックがキッカケで引越しをした
現在の実家の周りは新興住宅地のせいか、
近所付き合いもほとんど不要で、こういう事態でも手伝いなどはしません。
結局、お通夜にきてくださった方々のおもてなしは
あたし、兄嫁、弟嫁だけですることになり、とても大変でした。
通夜、告別式等をしきるには経験がなさ過ぎます。
まぁ、おもてなしといってもお茶を出して、
お経をあげてもらった後に、軽食と飲み物(お酌)を出すくらいなんですが、
とにかく沢山の人がいましたし、
なんせ実家は父母の二人暮しでしたから狭いのです。
そこにかなりの人が行き交って、どこにお茶を置いたらいいのか、
どこに座ってもらおうか、わけがわからない状態でした。
そんなスゴイ状況でも、小さい頃に面倒をみてくれた近所のオバちゃんとか、
母親同士が仲良くしてた小学校のときの同級生のお母さんとか、
懐かしい人達が母のためにお線香をあげにきてくれると、
顔をみただけで涙がでました。
兄も弟も時折涙をみせていましたが、
もともと涙もろい父は、誰か新しい方が見える度に
タオルで涙を拭いていましたね。(ハンカチじゃ間に合わないのでタオル)
お通夜が終わって、親戚たちがホテルへひきあげていくと、
ひとまず落ち着きましたが、次の日の出棺、火葬、
そしてその翌日の告別式の打ち合わせなどで、
夜遅くまで家族で話しをしなければなりませんでした。
父は、母が亡くなった当日の朝から何も食べずに
水のようにビールだけをガボガボ口に入れていたので、
とても心配だったんですが、お通夜が終わったあとに、
残ったお寿司をようやく食べ始めたので少し安心しました。
睡眠もちゃんととっているようなので、とりあえず大丈夫そうでした。
ほとんど寝てないのが弟。
この日もお線香の番を朝6時までして起きていてくれました。
まぁ、いつも身体を動かして仕事をしてるし、体力に自信があるだろうから
大丈夫とは思ってましたが、ちょっと心配でしたね。
あたしの風邪は薬を飲んで、少し横になったら治ったのか、
それとも最初から風邪じゃなくて、単に泣き過ぎだったのか、
お通夜の日はぜんぜん平気でした。


2月22日。出棺です。
朝からおにぎりを6個ほど作りました。
火葬場で1時間くらい焼いている間、待ちがあるんで、
手持ち無沙汰にならないためにも軽食を用意してください
との葬儀屋さんの指示で、おにぎりです。
兄嫁、弟嫁、そして弟嫁のお母さんも手伝ってくれたので、
あたしは6個だけですみました。作るのおっそいんだよ。ブッキー;

12時前、母に白装束を着せ、
(頭、胸、腕、腰というふうに順々に身体の部位に白い布をおいていく)
棺桶に入り、お花に囲まれて家を出て行きました。
姿をした母が実家にいるのはもう最後だと思うと涙がこみあげてきました。
出棺の儀が始まるときから弟が号泣していて、
ほんと声をあげて泣いていたのでちょっと驚きました。
それまでも涙は流してましたが、父や兄に比べれば
そんなに泣いたりせずにやらなければならないことを率先してやっていたので
その泣崩れる様にはビックリしたのです。
あまりに泣いているので、何か言葉をかけて励ましたかったのですが、
自分も涙が止まらず何も言えませんでした。

火葬場につくと、最後のお別れがあるのですが、
そのときはもう誰も涙をみせず、
あたしも「安らかに。」と祈っただけでした。

御骨になってしまった母と帰宅し、この日は3時頃には解散です。
姿がなくなってしまったせいか、
「なんだか気が抜けたね。」と兄と弟と話したくらいに
かなり気分がラクになったのがこのときでしたね。
それまでは神経がピリピリしていたような気がします。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

途中になっていた日記のつづきを追記しました。
なんだか、事象をツラツラと書いているだけで
気持ちが入ってないなぁーーと思うんですが、
実際この期間というのは、やらなければいけないことが多くて
感情的になってる場合じゃなかったんです。
たしかに涙はとめどなく流れるし、悲しさとかやるせなさとかも
あるにはあったんですが、どこか機械のように動いていた気がします。

まだ告別式のことを書いてませんが、続きはまたにします。
(1:05am mar.10.2002)



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2月23日(土) 午前11時 告別式。
父が御骨を、兄が位牌を、そしてあたしは母の写真を手に、
10時前には家を出て、葬儀場へ向かいました。
にっこりと笑った母。葬儀とはいえ、母が主役の晴れ舞台です。
「お母さん、みんなお母さんのために集まってくれるんだよ。」
とココロの中で話し掛けながら、車に乗りこみました。
葬儀場へ到着し、おおよその流れの説明を聞いてから、
読み上げていただく弔電を父と一緒に選び、
社名、人名にすべてフリガナをふる作業をしました。
告別式当日であっても親族はやることがいっぱい・・・。
受付を頼んだ方に挨拶したり、和尚さんに挨拶したり、
はじまる直前までワタワタしてましたね。

生前の写真をもとにビデオを作成してもらい、
それをはじまる直前に流してもらったのですが、
ちょっとしんみりしてしまい、ジワっときました。
式がはじまってしまうと後はもう葬儀屋さんのスタッフが
指示してくれる通りに行うだけでしたので、
何も心配することはなく滞りなく進みました。
御焼香に来てくださった方の多くがお通夜にも顔を出してくれていたせいか、
知った顔を目の前にしても、それほど悲しみに陥ることはなく、
告別式は意外にもあたしにとってはアッサリしたかんじでしたね。

式後、長野特有の慣わしである『おとき』(どんな漢字だったか忘れました)という
故人を偲んで親しい人達とお食事会のようなものがあります。
結婚式の披露宴のようなかんじで、和尚さんを囲んで豪華メのお食事を頂くのです。
とりあえず親戚以外の席をお酌してまわり、あとはゆっくり座って、
おいしくペロリと盛沢山の食事(和食)をいただきました。
なんだかさっきまで告別式を行っていたとは思えないくらいに普通の会話をし、
食べきれなかったおはぎやフルーツを詰めて持ち帰ったりまでしちゃいましたよ。
(持ち帰るように、ちゃんと箱が用意されていたので)
北海道の親戚が飛行機の時間があるといって、帰り支度をしはじめると、
閉めの詞もないままに、他の方達もゾロゾロと帰っていきました。
最後、車の手配がうまくいかず、御骨や位牌をもったあたしたち親族がロビーで
ずっと待っていなければならなかったのは、居心地が悪くて仕方なかったのですが、
そのことをさしひいても、この日はあまり泣かずにすんだのでよかったと思います。


こうして、大変な日々がひとまず通り過ぎていったのです。
ほんと親族ってやることがいっぱいで悲しみに沈みこんでるヒマなんてないんですね。
痛感しました。ふぅー。
それにしても、今回の葬儀屋さんには家族みんながイライラさせられました。
あたしたちが葬儀や長野の慣習に関して、知らな過ぎだということをさしおいても
それはおかしいんじゃない?ってことが多かったのです。
24時間体制でおこなってるせいか、担当者が何度か変わって
その担当ごとに説明が違っていたり、
事前に知らせておいてくれればよいことを直前になって言ってみたり、
いろいろ葬儀屋さんに対して、不満がつのったというか
はっきりいって信頼できませんでした。
メインの担当者の方は
「あくまでもあなた方が○○家として葬儀を出すのであって、私どもはそのお手伝いをさせていただくだけですから」
と言ってましたけど、それはそうかもしれませんが、
葬儀なんて早々あるもんじゃないし、近しい人が亡くなって気が動転してる時だし、
もうちょっとちゃんと親身になって説明してくれてもよいのになぁーーと
思わずにはいられませんでした。
あたしは葬儀屋さんとの打ち合わせにはほとんど参加せず、
兄や父から段取りを伝え聞いただけだったので、
それでもそんなに怒ったりはしませんでしたが、
父と一緒にいろんな説明を受けていた兄はかなりキレてましたね。
次があっては困りますが、いつかは人は死ぬモノなのだから、
また葬儀を出す立場になってしまったならば、
葬儀屋さん選びには気をつけようと家族一致で心に誓ったのでした。



この数日間、
人間ってどうして涙が出るのだろう。
と何度思ったことでしょう。
泣いても泣いても涙は沸きあがってくるもの
なのだと何度実感したことでしょう。
母の人生は幸せだったのかなぁー
と何度考えたことでしょう。
いつも口うるさい父が
とても小さく悲しげにみえたことでしょう。
兄弟、義姉、義妹の存在が
とてもとても有り難く思えたことでしょう。
甥っ子、姪っ子のあどけなさに
何度救われたことでしょう。
あたしのような薄情者にも
家族はやっぱり大切なのだから
これからはもう少し感謝して生きたい、
ひとりで生きているような顔をしては
いられないのだと思います。
そして、お母さん、おつかれさま。ほんとにありがとう。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ようやくオシマイです(笑
長文を読んでくれた方、どうもありがとうございました。
遺品の整理もまだ途中だし、お墓をどうするのかとか・・・
四十九日、初盆、一周忌・・・など
まだまだやらなきゃいけないことはこれからもありますが、
元気にまゆきょーらしく、家族とちゃんと話しをして
やっていきたいと思います。
(11:30pm mar.10.2002)



martes febrero 19, 2002 ■□ life goes on □■

そうさ そこにあるday
手の中 砂になるday
oh, i still want the truth

優しさ思い知るまで
悲しみに挑むような君が好きさ

falling to the end of the sky...♪



ひとり部屋で
love psychedelic orchestra の6曲目を
熱唱していたら
救急車のサイレンが響いてきた。
なんだか伴奏のようだった。



domingo febrero 17, 2002 ■□ korean foods □■

土曜日。またまた寝まくってしまった。
起きたらお外が暗くてショック。
どうしてもラーメン、餃子が食べたくなって
生田駅前の宇都宮餃子に行こうとしたら
潰れていた。世の儚い事。
仕方ないので明大近くの青柳食堂に行った。
隣の人が食べていた唐揚げ定食は美味しそうだったが
ラーメンはいただけなかった。餃子は普通。
夕方なのに朝食気分を終え、自宅でvideoを観た。
そんなサタデイ♪


日曜日。高校のときの友達とカラオケに行った。
love psychedelic orchestra の2曲目というか、
singleで出た時は、tvでちょろっとしか聴いてなかったんで
歌えるはずもなかったが、albumを手にした今なら何とかなるかも
のイキオイで“free world”に挑戦。
あとはメドレー三昧「セガカラ セレクト5」のメロディを何度聴いたことか。
カラオケの後は、コリアンストリートへ。
カクテキ、上カルビ、上タン塩、石焼ビピンパ、玉子スープ に 野菜パジョン(チヂミ)
おいしかったぁ(^ー,^) あまり辛くなかったから日本人向けにしてあったのかなぁ?
その後、イタトマでお茶して、デザートも食べて
ふたりしてダイエットを誓った(苦笑)
tvからビデオに落とした『クルーエル・インテンションズ』を貰ったので
超ゴキゲンだぜぃ♪さんきゅっ!



miércoles febrero 13, 2002 ■□ i bought them □■

会社帰りに買ったモノタチ。

□ セータ2枚。セールにしてヤられた。買うつもりなど全然なかったのに。
□ 2002jリーグ ディビジョン1 1stステージ第2節 東京ヴェルディvsジュビロ磐田のチケット
  バックスタンド自由席だよ。
□ インナーという名のババシャツ風キャミ下着2枚。今日は2枚にこだわってるのか?
□ サッカーダイジェストno.610
  タカ・シンジ・イナ“三銃士たちのいま”こんな特集組まれちゃったら買っちゃうさ。


なーんか、いつも寂しい財布だが、今月は増して寂しくなってきてる。ヤバッ
給料日まで生活してけるのかなぁーー おこづかいください。



lunes febrero 11, 2002 ■□ itemize □■

箇条書き

■ 3連休にvideo1本, 映画2本観た。
■ 映画の前の予告でド○モのcmをやっていた。田村正和パパは鯰研究者だったのか。
  cm自体からは分からないが坂口憲ニ兄ちゃんは金沢で働いているという設定らしい。
■ バレンタインにはちょい早いがgodivaのトリュフを買って食べた。
  家に帰り着く前にスタバでこっそり開けて・・・
■ めずらしく赤系ストライプ?のブラウスを購入。
■ それを着て、友達の結婚式の二次会へ出席。大宮は遠い。新婦は女っぽく変身。
■ その二次会にてガーリックたっぷりのお料理をたらふく食べた。ハラ出まくり;
■ 久々にサッカーボールを蹴った。相棒はボールの上にのっかりスッテンコロン。
■ 『ロズウェル★星の恋人たち』のマイケルとマリア, マックスとイザベルは実生活でも
  デキテルらしい。
■ 『利家とまつ』をまたもや見逃した。



viernes febrero 08, 2002 ■□ cute □■

マメちゃんに会いました。

最後にスタジオ入ったのが ♪軽音日記♪ によると去年の5月なので
8ヶ月ちょいぶりでしょうか。ひさしぶりです。
ココのところ、試写会に誘ってくれた先輩(t.i.)といい、
きゃわいい赤ちゃんのママさん(sumi)といい、
イーオン仲間(steve sanders?)といい、
久々の再会パターンが続いてるような気がします。
そのたびにあたしは以前より太ってて、イヤだわーーと顔を赤らめていたワケですが、
今日はマメちゃんがあいかわらずチッチャクてかわいらしいので、
余計に自分の腹のデカさをとてもとても呪わずにはいられませんでした。
それなのに、豚肉角煮ごはん とか頼んじゃってるのは何故でしょうか?

本日はあたしがアドバイスをせねばならなかったのですが、
これといってためになる情報も持ち合わせいなくて・・・、
というか、あたしみたいな未だ落ち着かず人生を模索してるようなヤツに
聞くこと自体が間違っているような気もします。
気もする じゃなく、間違ってます。間違ってるんだって!
というわけで、逆にいろんな話を聞いて、
楽しいひとときを過ごせて満足だったのはあたしの方でした。
ただ、デザートに あんみつアイス付 をオーダーしたのに
品切れだったのが残念だったのですが。
あ、そういえば!!
トイレに入ってトイレットペーパーが切れていたこともショックでした!
周りを見回しても予備がなく一瞬、どぉーーしよぉーーー、ぐげげげ。
と、デルものもトマリそうになりましたが、
上を見たら棚にたくさん置いてあったのでホッ
あ、あとあと、アルコールの話題になったとき、「ハイネケン」と言われ
頭の中では韓国焼酎「眞露」を思い浮かべ、(瓶がふたつとも緑じゃん)
「え?ボトルキープとかもできるの??」と
ちんぷんかんぷんな切り返しをしてしまった自分にもかなりのショックでした;

なにはともあれ、まぁ、人生がむばりませう。



*********************************
サッカーネタ
高原直泰が帰国。
スポーツニュースをビデオにとりたかったが、録画セットが間に合わず(涙;



miércoles febrero 06, 2002 ■□ convinced again □■

やっぱり窪塚ッチはイイわ。

『ロングラブレター〜漂流教室』
ストーリとか演技とか映像とか撮影場所とか
そんなんどうでもいい。
特にタイプというわけでもない
(背高くないし、ソフトマッチョでもないし)
のに、やっぱイイなぁーー
と感じるのは、あたしがミーハーだということをさっぴいても
彼からは、ぜったいなんかオーラが出てるよ!

英会話の予習しなきゃ。

つぅか、昨日と一昨日の深田韓国ドラマ、みんな観たぁ?
深田恭子ガッシリし過ぎ・・・
アニョー



domingo febrero 03, 2002 ■□ return □■

高原直泰 1979.06.04生 静岡県出身 愛称タカ
アルゼンチン ボカ・ジュニアーズ退団
2002.02.04をもって jリーグ ジュビロ磐田復帰決定。
数日前からスポーツニュースサイト等で噂!?になっていたが
正式にジュビロからも発表になった。
タカサポとしては複雑な思いである。
半年でボカを去らなければならないのは非常に残念だし、
もっともっとアルゼンチンで、そう海外という舞台で、
タカのプレイをアピールしてほしかった。
多分タカ自身は悔しい思いがあると思う。
反面、また近く(ナマ)でタカのプレイがみれるかも!という嬉しい思いもある。
3月からのjリーグ。関東でのジュビロ戦はおさえておかなきゃっ。
気はハヤルハヤル。
とにかくw杯まであと4ヶ月だし、どこでプレイしてもタカはタカ。
がんばってほしい!がんばれタカ!がんばれっ!!


生え際がすっかり黒くなってたんで
やっすい美容院でカラーリング。
けっこう茶色くなった。
髪の毛もパサパサギミ。
傷めつけてるよなぁー 薄いのになぁーーー


唐突だが、日テレで金曜深夜にやってる 『東京抜け道ガール』
妻夫木くんがでてるということもあって観てしまった。
映像がけっこう好み。
ダメチンピラの妻夫木くんの役はイマイチだが。
深夜だけに来週観るのを忘れそうだ。


映画ページ " nuovo cinema paradiso " 更新。
2002年1月のなんとなくオススメ。
これ!っていう出会いはなかなかないやねぇー




01/31(木) [return to aeon: jueves enero 31, 2002]

ユアン・マクレガーが歯をだしてニッコリ笑う英会話のイーオン
1年以上のブランクを経て復帰決定(笑;
あいだがあいちゃったんで以前通ってた新宿校で
もういちどコース(クラス)の説明、契約→支払
そしてレベルチェックを受けた。
その結果、前と同じ日常会話のクラス “communicative” 通称 “com” を選択。
でもレベルは予想通り com3 から com2 へダウン;;
自分の英語力がレベルダウンしてるんだからそりゃ仕方ないけど、
やっぱり全然しゃべれなくなってることがショックだったわ。
週1回でどこまで上達できるかわかんないけど
とりあえず、まずは楽しんで続けるコトに重点をおこうかと思ってる。
がんばるぞっ!

無事クラスも決定したので、
元クラスメイトのスティーブ先輩とごはんを食べに行った。
イーオンをやめちゃってから1度も会ってなかったんで
やっぱり1年以上ぶりだったんだが
変わってない。
それは、お互い様、か。
あたしは4〜5kgはデブってるはずなんだが、
コノサイトで写真とかみてくれてたみたいで驚かれなかった。
いいんだか、わるいんだか・・・。
イーオンの以前のセンセや今いるセンセの話を聞いたり、
海外ドラマの話で盛り上がったり楽しかったぞっ。
店のお料理が前より落ちた・・・といってスティーブ先輩は嘆いていたが
揚げもちのなんたらかんたらが旨かったので、あたし的には満足。

さ、来週も木曜日は real communication!




02/02(土) [eat out in sho-an again: sábado febrero 02, 2002]

ヌーベル割烹 sho庵
去年の暮れに元同僚のお誕生日祝いで行ったお店。
値段は少々ハルがかなり気に入ったので、予約を入れてまた行ってみた。
いちおう、だーぞぉの誕生日祝いということで。かなり早いけど。
どれも美味だったが、ふぐ雑炊がおいしかったなぁ。
そして前回同様デザートも絶品っ
白胡麻のブランマンジェ うまっ
季節のフルーツ入りシャンパンを呑んでホロ酔いで
気分もお腹も大満足だった。
おいしいものはココロもはっぴぃにさせてくれる。



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